サクラの降る町 ―白ノ帳― 試し読み

「時々考えるの。もしも愛里ちゃんの姉になるのが私じゃなくて、あなたやヒヨリさんだったら、きっとこんなことには、なってないんじゃないかって」
簡単に愛里と距離を詰めて、眠りについてしまう前に彼女を助けることができたんじゃないだろうか。
「私じゃなくて、本当の妹が今もそばにいたら――」
私が口走った言葉にツバサが首を傾げる。愛里に交通事故で双子の妹を失った過去があることを、私はツバサに話したことがなかった。私は適当に誤魔化す。
「とにかく、私と愛里ちゃんは〝なりゆき〟で姉妹になっただけなのよね」
ツバサが立ち上がり、しばらく言葉を探すような間を置いてからまた口を開く。
「ルカは確かにちょっと一匹狼みたいなところあるけどさ。でも、そんなあんたみたいな人間が、こんな田舎までアマザクラの謎を解くためにやってきて、今もずっと考え続けてるってことが、すごいことなんだと思うけどな」
「そうしないと自分のことが許せないから、そうしているだけよ」
「罪滅ぼし、ってこと?」
私が答えを返せずにいると、代わりに橋の下でちゃぽんと水が音を立てた。

期末テストが終わると冬休みまでの行事もなくなり、校内の雰囲気が緩くなった。現代文の教師も授業中だというのに雑談に興じていた。
「『星の王子さま』に出てくるバオバブの木を見てみたくてな。大学の卒業旅行はマダガスカルにしたんだよ」
彼は一学期の終わりにも同じ話をしていたので、クラスの大半が真面目に聞いてはいなかった。ちらりと最前列にいるツバサを見ると、彼女もあくびをかみ殺していた。
すると、私の鞄の中で電子音が鳴った。
授業中は通話やメールの着信音はオフにしている。その音は気象庁が作ったスマホアプリの通知音だった。登録した地域にアマザクラが降った時、リアルタイムで知らせてくれるというものだ。
だが、教室の窓から外を確認してもアマザクラは見当たらない。机の陰でスマホを操作し通知を見ると、呼吸が止まりそうになった。
立ち上がる際に、椅子を後方へ倒してしまう。その音に驚くクラスメイトの間を通り抜けて、私はツバサの机に飛びつく。
「ど、どしたの、ルカ?」
私はスマホをツバサの眼前に掲げる。彼女の黒い瞳にスマホの光が反射した。
「峰上市で……」
画面の文字を読み上げるツバサの声が震えた。
「アマザクラを観測……?」
教室の扉ががらりと開いた。廊下に立っていたのは九重高校の事務員だった。
「紫々吹ルカさん。ご家族からお電話が入っています。妹さんの件で」

【Ⅱ】

峰上みねかみ駅へ向かう電車の中は空気が乾燥し、車両の奥のほうではサラリーマンが咳をしていた。暖房の熱でぼんやりとし始めた頭にふと過去の記憶が浮かぶ。それは冬の今思い出すには似つかわしくない、中三の夏の記憶だった。

電車がカーブに差し掛かると、車輪と線路がこすれて甲高い音が響いた。ガタガタと揺れる車内で、隣に座っていた愛里あいりがぽつりと漏らした。
「本当によかったんでしょうか……」
「なにが?」
愛里がスカートをぎゅっと握る。沙里さりさんが今日のためにと明るい色のブラウスをプレゼントしていたが、彼女が選んだのはいつも着ている紺色のワンピースだった。
「チケットです。私が使っちゃってよかったんでしょうか?」
父親が仕事仲間から譲り受けたチケットは有名なテーマパークのものだった。「二人で行ってくるといい!」とチケットを渡された日、愛里は満面の笑みで感謝を父に伝えていた。だが、そのあとで、チケットを自分が使うことに申し訳なさを覚え始めたらしい。
「それが一番の有効活用だと思うけど」
「でも、ルカさんが友達と使ったほうがよかったんじゃ……」
「無理よ」
「無理……?」
「遊園地に一緒に出かけられるような友人はいないから」
私は愛里のように転校せず同じ中学校で二年を過ごした。にもかかわらず、最後の夏に一緒に出かける友人がいないのは自慢にはならない。だが、愛里は感心したようにため息をついた。
「すごいなぁ、ルカさん」
「友人がいないことが?」
「そうじゃなくて、そのことを気にしてない感じが、なんか、かっこいいです」
「愛里ちゃんのようにたくさんの友達に囲まれることができる人のほうがきっと得よ。このチケットは、あなたが友達と使うべきだったと思う」
愛里は顎に人差し指を当てながら考え始める。
「んー。私も難しいです。一人は、選べなさそう」
「友人が多いから?」
「いえ、一人を選ぶと他の子と距離ができちゃうから」
そこで次の停車駅を知らせるアナウンスが車内に響く。
「ルカさんはなにに乗りたいですか?」
「できれば次の乗り換えで、急行に乗りたいわね」
私の答えに愛里はくすくすと笑った。
「違いますよ。遊園地のアトラクションの話です」
「それはあなたが乗りたいものに乗りましょう」
「あれ、遊園地とかあんまり好きじゃないですか?」
私はジェットコースターのスリルを楽しむタイプでも、キャラクターの着ぐるみと写真撮影するタイプでもない。今日は、愛里の保護者としてついてきたつもりだった。とはいえ乗り気でないことを彼女に伝えるのはさすがにはばかられた。
「待ち時間に、本が読めるわね」
苦肉の策でひねり出した答えに、愛里は予想外の反応を示した。
「へぇ。どんな本を持ってきたんですか?」
私は鞄から文庫本を取り出す。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』。中学の図書室から借りてきたもので返却期限が迫っていることを説明した。
「宇宙人が攻めてくるお話ですか? なんだか意外です。えっとこういうの、なんて言うんでしたっけ?」
「サイエンスフィクションね。有名な作品みたいだから手に取ってみただけで、このジャンルが特別好きというわけでもないわ」
「面白いですか?」
「ええ、すぐに人間が襲われるシーンが始まるから」
スリリングな導入部を褒めたつもりだったが、スプラッタ好きだと誤解されかねない返答をしてしまった。別にどちらに取られても構わないので訂正はしない。
「愛里ちゃんは本を読むの?」
「ファンタジーとか好きですよ!」
彼女は有名な海外児童文学のタイトルを挙げた。剣と魔法の世界を舞台にした作品で、映画化も決まっている有名シリーズだ。
「前に新作が発売されていたわね。先週ニュースで見たわ」
「そうなんですよ! 前の巻が気になるところで終わってて……!」
彼女は自分の声が大きくなっていることに気が付いて声をひそめる。
「小学校の図書館にもあるんですけど、なかなか順番が回ってこないんです」
「買えばいいじゃない」
「ですよね」
愛里がぎこちなく笑う。彼女はもらったチケットを使うことにすら恐縮してしまうほどに慎ましい。ハードカバーで値が張るあのシリーズの本を購入するのに、尻込みしてしまっているのかもしれない。
「本、読んでてくれていいですよ」
「そうね、そうさせてもらうわ」
私はそこで会話を切り上げ、到着まで読書に没頭した。だが、そのせいで私は彼女の異変を見逃した。
愛里は目的の駅に着くなりトイレに駆け込んだ。乗り物酔いをしていたのだ。私は彼女が苦しんでいることにまったく気付かなかった。やはり自分には姉など向いていないのだと自虐しながら、愛里のために購入したペットボトルを握りしめた。

握った手の中で、パキンとコーヒーの缶が音を立てた。九重ここのえ駅で購入したものだが、まだプルタブは開いていない。すでに常温になっていて、カイロの役割すら果たしていなかった。
その時、車内がにわかにざわついた。咳をしていたサラリーマンが立ち上がり、扉付近にいた女子大生たちがスマホを取り出し動画の撮影を始めた。
「私ここ越して来たばっかだから、本物見るの初めてー」
「地元民でも、この色は初めてだよ」
いつの間にか車両は峰上市内へと入っていた。窓の外を町並みが流れていく。
見慣れたはずの光景に違和感があった。黒や灰色の屋根のところどころが、塗装がげているかのように白くなっている。雪が降った翌日のような光景だったが、目を凝らすと、その〝白〟を形成しているのが、小さな花弁であることが分かる。

一年ぶりに峰上市で観測されたアマザクラは、白色だった――。

やがて峰上駅のホームへ車両が到着した。私は改札を抜け、駅から曇天どんてんの下へと小走りで飛び出した。地面にしゃがみ込み、落ちている花弁を拾い上げる。
薄紅色の花弁が光の反射などによって白っぽく見えることはある。だが、今自分の手の平にある花弁は紛れもなく白一色だった。表面の筋も目を凝らさないと分からないほどだ。造花の花弁だと言われても信じてしまいそうなほどに現実味がない。
タクシー乗り場を挟んだ向こう側にテレビ局のクルーがいた。レポーターが足元に残る花弁を指さしながらカメラに向かってなにかをしゃべっている。
カメラに向かって手を振る野次馬の間を通り抜け、私はバス停へと向かう。だがその途中、私は思わず立ち止まった。
駅のロータリーの真ん中に一匹のウサギがたたずんでいた。白い体を毛繕けづくろいしている。
周りを見渡すが、ウサギに気が付いている人は誰もいなかった。
その時、自転車に乗った女性が私の目の前を通り過ぎる。同時にウサギは跡形もなく消え去った。
私は、なにかを見間違えたのだと結論づけて、病院へ向かうバスへと乗り込んだ。

病院のロビーで父と沙里さんと合流してから、私は医師の待つ診察室へと入った。
医師の机には、私たちの不安な気持ちに似合わない小さなクリスマスツリーが飾られていた。医師はその隣にギザギザの線がいくつも並んでいる紙を広げる。愛里の脳波の計測結果が記された資料だった。
「これが今までの愛里さんの脳波で、こちらは今日計測したものです」
専門的な用語をかみ砕きながら、医師は私たちに愛里の状態を説明した。
「今までは睡眠状態に近い脳波が計測されていたんですが、ここ数日変化が始まって、だんだんと脳全体の活動が弱まってきています」
このままこの変化が続くようならば、完全に脳の活動が停止してしまうかもしれない。医師がそう告げた時、父は沙里さんの背中をさすった。
「もともと愛里さんの症状は異例なことが多くて、今回もなぜこのような変化が始まったのか……」
困惑する医師の言葉を聞きながら、私は窓から見える曇天を睨みつけた。
それから私は愛里の病室へと向かった。彼女が眠るベッドの脇には見慣れない機械が並べられていて、そこから伸びるコードが愛里の頭に貼り付けられていた。だが、ベッドで横たわる愛里自身は、今までと変わりないように見える。苦しそうな表情をしているわけでも、脂汗をにじませているわけでもない。
私はハンカチに挟んできた花弁を眺める。紫色のハンカチの上では、花弁の白さがより際立つ。まるでハンカチに花弁の形の穴が空いているかのようだった。
「一体、なにが起こっているの……?」

ツバサから電話がかかってきたのは、その日の晩のことだ。
急いで荷造りをしたせいで、九重にスマホの充電器を忘れてきていた。自室の押し入れから同じ型の充電器を引っ張りだしたところでスマホが震えた。
『あ、もしもしルカ? その……、愛里ちゃん、どうだった?』
私はツバサに、医師から聞いた愛里の状態と白いアマザクラに関しての説明をした。自分の口から説明することで、今日聞いたこと、そして見たものが現実なのだと再認識させられた。
『白いアマザクラ……』
「あなたはどう考える?」
アマザクラと繋がるツバサならば心当たりがあるかと期待したが、ツバサは『ごめん』と漏らした。電話の向こうで実際にうなだれている彼女の様子が目に浮かぶ。
『ニュースで見たけど、あんな色の花びら見たのは私も初めてだからさ……。文字通り頭が真っ白になった、みたいな時も、あんな色の花弁は降らないし』
あてが外れた残念さから、電話を切ってしまいたい衝動に駆られる。だが、電話の向こうでツバサが『でも』と口にした。
「でも、なに?」
『もしかしたら、ルカを混乱させちゃうだけかなって思って言うかどうか悩んだんだけど。実はさ、私、白い花弁をある場所でなら見たことがあるんだ』
腰掛けていたベッドから思わず立ち上がる。スマホに繋いでいた充電器のコードがぷつりと外れた。
「どういうこと?」
『待って待って、最後まで聞いたら、なんだそりゃって言われるかもしれないんだけど……』
「前置きはいらないわ。教えて」
ツバサは私の勢いに押されながら続けた。
『見たのは〝夢の中〟なんだ……』
「夢……?」
『夢の中でアマザクラを見ることは割とあるんだけど、たまに、あれ? 今日の花びら真っ白だなーなんて気付くことがあって。って、ルカ聞いてる?』
ツバサの話に反応しなかったのは、ある記憶を思い出していたからだった。
――今日は夢の中でもアマザクラが降ってたんですよ。真っ白な花びらでした。
「そういえば、愛里ちゃんも夢の中で白いアマザクラを見たって話してたことがあったわ……。昔のことを思い出す夢の中で降ってたって……」
スマホの向こうで、ツバサが声を一際大きくする。
『ほんと!? それ、私も同じだよ。昔の出来事を思い出す夢でよく見るんだ。白いアマザクラ!』
「夢の中で降る白いアマザクラ……。でも、それがなんで現実の峰上市に……?」
そこで思考が止まる。この情報をもとになにをどうすればいいのかも見当がつかない。
『ルカ、大丈夫?』
「愛里ちゃんの容体の変化はゆっくりだから。すぐに彼女の脳が活動を停止してしまうわけではないわ。まだ考える時間はあるはず」
『あんたが大丈夫かって意味だよ。急なことで、不安とか、怖いとかあるでしょ?』
「今は、私の状態なんて関係ないでしょ」
先ほどまでと打って変わって、彼女の声に力がこもる。
『私、来週になったら、もう冬休みだからね』
「それは知ってるわ」
『そうじゃなくて! いつでも助けにいけるからねって意味!』
どう答えるべきか悩む。今ツバサが目の前にいたとして、なにかを頼めるわけでもない。余裕のない自分の姿を見せることにも抵抗があった。
「大丈夫よ。あなたはヒヨリさんと冬休みを楽しんで」

私が守りたかった偽りの世界。君が教えてくれた真実の世界。

サクラの降る町 ―白ノ帳―

私が守りたかった偽りの世界。君が教えてくれた真実の世界。
  • 著者 | 小川晴央
  • Illustration | フライ
  • 発売日 | 2021年12月10日(金)
  • 価格 | 713円(税込)
  • ISBN | 978-4-910052-24-3