サクラの降る町 ―白ノ帳― 試し読み

修学旅行一日目の夜は騒がしかった。同室のクラスメイトは恋愛話や、引退した部活の先輩の愚痴など、私には興味のない話題で盛り上がっていた。
だが、二日目となるとさすがに疲労が溜まったのか、みんなすやすやと眠っている。寝息と旅館の壁掛け時計の音が部屋を満たしていた。
私はそれがかえって落ち着かず、なかなか眠りにつくことができなかった。
部屋を出て、旅館のロビーへと向かった。自動販売機でウーロン茶を購入していると、後ろからツバサに声をかけられた。
「眠れないの? ルカ」
彼女も私と同部屋だった。私が部屋を出たことに気付いて追ってきたのだろう。
布団の上で何度か寝返りをうっていたのか、セミロングの黒髪が乱れてぼさぼさになっている。羽織ったパーカーの間から見える浴衣の帯も斜めになっているが、それは大浴場から帰ってきた時からそうだった。
「ツバサさんも?」
「あちこち観光したみんなと違って、私ら愛里ちゃんの病院に行っただけだからね」
自由時間は決められた班単位で行動する決まりだったが、そのルールはあってないようなものだった。ほとんどの生徒が部活の仲間や仲のいい友人と行動していて、私の班員も好きな映画のロケ地巡りをしたいからと、別行動を取っていた。
ツバサも似たような状況だったため、愛里のお見舞いに行く私と病院で合流することにしていたのだった。
「ルカもついてないね。修学旅行先が地元って。もし今も前の学校にいたら、どこ行ってたの?」
「ハワイか、勉強合宿か、選択式よ」
「それ勉強合宿選ぶ人いるの?」
「いるわよ。割と」
私が春まで通っていた峰上学園の進学校っぷりに、ツバサは「うげー」とあきれ返った。
「勉強に熱心な人もいれば、家庭の事情で費用が出せない人もいるし、ハワイでもパシりにされるだけだから行かないって人もいるし」
ツバサが険しい表情で腕を組む。本人が前にコンプレックスだと語っていた目つきが、さらにきつくなった。
「パシり……。名門高校にもそういうテンション下がる嫌な話あるんだ」
「プライドが高い人が多い学校だし。私も実際に目にしたことだってあるわ」
「それは気分悪いね……」
「昔の話よ」
ある少女の姿が思い浮かぶ。重たい黒髪に縁の太いメガネ、記憶の中の彼女はうつむいていた。
――すごい、ですね……。紫々吹さんは。
嫌味と感嘆が半分ずつ混ざった声と共に、なぜか湿った匂いがした。
ツバサが体をぐっと伸ばしながら、濁点だくてんがついたようなうめき声を漏らす。
「それにしてもハワイかー! 行ってみたい、ようなそうでもないような……」
「あなた、旅行好きってわけじゃないものね」
「英語が得意だったり、知らない文化を楽しめる教養があったりすれば楽しいんだろうけど、私はどっちもからっきしだし。嫌いってわけでもないんだけど……、ってこのどっちつかずな感じが、また私っぽいよね」
ロビーに設置されたソファに腰掛ける。ツバサも私から一つ間を空けて同じソファに座った。
正面に小さな土産物売り場が見える。網シャッターで仕切られた向こう側の棚に、京都のご当地キーホルダーが並んでいた。ミネカミネコのキーホルダーもあるが、端のほうに追いやられている。アマザクラが降らなくなった今、ミネカミネコは少々時代遅れなのだ。
「今日は愛里ちゃんの顔が見られてよかったよ」
ツバサは、私と愛里に関する話を誰よりも知っている。それは彼女自身が九重町のアマザクラと繋がる人間だからだ。
愛里が眠りに落ちてから、私は彼女を目覚めさせる方法を探した。アマザクラを知るために様々な方向からアプローチし、その中で出会ったのがツバサだった。私はアマザクラに関する理解を深めるために父親の引っ越しについていき、彼女に近づいたのだ。
その夏。ツバサは疎遠になっていた幼馴染みである環木たまきヒヨリとの仲直りを果たした。
ただ仲直りと呼ぶには切実で、必死で、アマザクラと九重町の空を巻き込んだ壮大なものだったのだけれど、端的に説明するならば、仲直りという言葉になるのだろう。
一連の出来事の中で、愛里がなにに悩んでいたのかを解き明かすことはできなかった。九重の空で起きたことの答えは、愛里にそのまま当てはめられるものではなかったのだ。
だが、それでも私は確かにこの目で見た。
アマザクラが絶望に捕らわれた者を眠りにつかせようとする瞬間と、
心を絶望から救い出し、それを阻止するところを――。
愛里が抱えている苦しみを解決すれば、彼女は目を覚ます。
その確証を掴んだだけでも、九重町へ来た価値があったと思っている。
「愛里ちゃんの頭の中が分かったらいいのにね。なんかこう、秘密道具みたいなのを繋いでさ。そしたら、眠っちゃう前、なにがつらかったのか教えてもらえるじゃん」
ツバサの空想を馬鹿にする気にはなれなかった。
愛里の苦しみの正体を知り、それを恐れる必要はないのだと枕元で呼びかけ、彼女が目を覚ます。私もそんな想像をしたことがあった。しかし、それは吹き出しが空っぽの漫画のようなもので、具体性がない妄想に過ぎなかった。
「愛里ちゃんがつけていた日記でもあれば、手がかりになるのだけどね」
堂々巡りになりそうな会話を切り上げるためか、ツバサが勢いよく立ち上がった。彼女も喉が渇いていたらしく自動販売機コーナーへと近づいていったが、財布を部屋に忘れてきたようだった。
「私が買うわ」
ツバサの代わりに二本目のウーロン茶を購入すると、彼女は警戒心をあらわにした。
「ルカが私におごるなんて……!」
「修学旅行の貴重な自由時間を奪ってしまったから。その謝罪よ」
ペットボトルを差し出すが、ツバサは受け取らなかった。不服そうな顔をしているが、その理由はよく分からない。
「謝ってもらう必要はないって。私だって愛里ちゃんのお見舞いしたかったし」
「ツバサさんを通して私はアマザクラに対する理解を深められている。それだけで助かっているのに、そのうえ私に付き合わせたんだもの」
「ルカは自分に厳しいよね」
「客観的に自分を見てるだけよ」
ツバサが「あんたらしいね」と苦笑いする。
「んー。でも、友達からそこまで他人行儀にされるのはなんかちょっとやだな」
「友達……」
私が実感の伴わない言葉を口にすると、ツバサは、ばつが悪そうに顔を逸らした。
「な、なりゆきで、そうなっただけだけど、そういう関係ではあるでしょ。だから、ごめん、って意味なら、それはいらない」
「もう買ってしまったんだから、受け取ってもらえないと困るわ」
「なら、お礼の印としてちょうだい」
「違いあるの?」
「違うでしょ。なんかこう……、私もうまく説明できないけどさ、分かんない?」
しばらく考えてみたがツバサが言いたいことは結局理解できなかった。
「よく分からないけど、じゃあ、お礼として」
ツバサは「ん」と満足そうにウーロン茶を受け取り、口元へと運んだ。
「んじゃ、そろそろ部屋戻ろっか。明日寝坊でもしたら恥ずかしいし」
ツバサが部屋に向かって歩き出す。すると、彼女の肩から一枚の花弁が落ちた。
花弁の形や大きさはアマザクラに似ていたが、それは私が今まで見たことのない白色をしていた。綿毛のようにふわふわと揺れる花弁を、私は宙で見失う。あたりの床を探してみるが、花弁など、どこにも落ちていなかった。

修学旅行から戻るとすぐに、期末テスト期間がやってきた。ツバサに泣きつかれて勉強を教えた日もあり、むしろ普段よりも学習時間は減った。だが、試験問題に難解なものはなく、どの教科も納得のいく出来だった。
九重高校の校舎を出る。山間にある高校の敷地からは九重町の町並みを見渡すことができた。京都の中心部にほど近い峰上市とは違い、九重町は土地の高低差も大きく、交通の便も悪い。建物よりも、畑や林の緑色が視界の半分を占めている。
それでも、私はこの町が嫌いではなかった。時間がゆったりと進むこの町は、峰上での出来事を思い出すたびに冷たくなる私の心を少しだけ楽にしてくれた。
「ルカー、おまたせー」
振り向くとレンガ造りの階段の上にツバサが立っていた。少し遅れて、ヒヨリもその横に顔を出す。
「ルッカちゃーん!」
ヒヨリは肩が抜けそうな勢いでぶんぶんと手を振った。同時に栗色の髪もふわふわと揺れる。今朝挨拶を交わしたばかりなのに、まるで数年ぶりに再会を果たしたかのような勢いだ。
ツバサはヒヨリの肩に手を置き、歩調を合わせながら階段を下りてくる。過去に階段から落ちて大怪我を負ったことがあるツバサのために、ヒヨリが手すり代わりになっているのだ。ツバサ曰く手すりのない階段でもゆっくりなら降りられるようだが、ヒヨリは毎回当然のことのように彼女へ肩を貸している。
「ルカちゃんはテストどうだった?」
「ルカならうちのテストくらい余裕でしょ。それよりヒヨリは大丈夫だったの?」
ツバサが心配しているのはヒヨリの学力ではなく、彼女の天然さから来るケアレスミスだ。
尋ね返されたヒヨリは、ふふん、と鼻を鳴らして自慢げにこちらに手の平を向けた。そこには《名前!!》とマジックでメモが書いてある。
「ツバちゃんに何度も注意されたからメモっておきました! これで0点の教科はないはず!」
「それって、カンニングにはならないの?」
私の指摘にヒヨリは「え? はっ! 確かに!」と顔を真っ青にした。
「じ、自首してくる」
「ルカ! 変なこと言わないでよ! ヒヨリも冗談を真に受けない!」
別に冗談のつもりはなかったのだが、確かに高校のテストで〝名前〟という漢字の書き取り問題が出るはずもないので、とがめる教師はいないだろう。
「あ、そういえば、ルカちゃんは、冬休みになったらすぐ峰上に戻るんだよね? 愛里ちゃんのこともあるし」
「ええ。その予定よ」
ヒヨリが持つアマザクラに関しての知識は一般人と同レベルだ。だから、愛里とアマザクラの関係などは話していない。しかし、彼女も愛里が昏睡状態にあることは知っている。
ヒヨリは私だけではなく、ことあるごとに愛里のことを気遣ってくれていた。ハンドクリームをプレゼントしてはどうかと提案してくれたのも彼女だ。修学旅行中も愛里を見舞いたいと考えてくれていたのだが、それは実行委員としての仕事があったせいで叶わなかった。
「それならルカちゃん、もしよかったら今から〝二学期お疲れ様会〟をやらない?」
ヒヨリの提案に続いて、ツバサが補足する。
「親戚が美味しい鶏肉を送ってきてくれたんだよ。そんで今日うち鍋なわけ。よかったらヒヨリとルカも呼べば? って親も言ってくれてさ」
反射的に断る理由を探してしまう自分がいたが、私はその提案に甘えることにした。

ツバサの母親は私たちが三人で食事をとれるようにと、自分たちの分とは別に鍋を用意していた。客間で食事をとりながら雑談をしていると、ツバサがある先輩の話題を出した。
「そういえば昨日、我那覇がなは先輩が学校に来てたよ」
ツバサの視線の先にはサラダの上に乗ったブロッコリーがあった。おそらくそれを見て彼のアフロヘアーを連想したのだろう。
我那覇先輩は夏に行われた文化祭で私たちがお世話になった軽音部の先輩だ。いつもチューインガムを噛んでいて、なぜかある言葉を好んで使う。
「それは〝俄然がぜん〟珍しいわね」
ツバサが「それ昨日も言ってた」と笑い、その時の様子を説明し始める。
「受験組じゃないし、しばらく学校には来てなかったけど、進路のことで先生に呼び出されたみたいでさー」
「ツバちゃん。我那覇先輩は卒業したらどうするの? なにか聞いてる?」
「〝北北西に向かう〟んだってさ」
「それは進路じゃなくて方角ね」
私がこのツッコミを本人にしても「細かいことはいいんだよ」と笑い飛ばされただろう。
「ヒッチハイクで旅するんだってさ。私も一緒に来ないかって誘われたよ。女子がいたほうが車が捕まりやすいだろうからって」
「アメリカの映画でよくあるよねー。セクシーポーズとって車を止めるの」
「ツバサさんには無理でしょう」
「我那覇先輩にも同じこと言われた。お前は体当たりして車を止めるほうが似合ってるって」

食事と後片付けを終える頃にはもう七時を過ぎていた。私たちは上着を羽織って外へ出る。付近に街灯は少ないが、代わりに丸い月があたりを照らしていた。
「ツバちゃんお腹苦しかったら見送りいいよ?」
「平気だよ、すぐそこだし」
神屋敷家と環木家はすぐ近くにある。川が間に挟まっているので正確には隣家とは言えないのかもしれないが、お互いに相手の部屋の窓灯りが見える程度の距離にある。
その間にある橋を渡りきり、環木家が目の前にきたところでヒヨリが足を止めた。
ヒヨリはなぜか部隊行進のようなきっちりとした回れ右をしてから、ロボットのように話し始めた。
「ソ、ソーダ! ツバちゃんに、聞かなきゃいけないことアッタんダッタ!」
「どしたの急に」
ヒヨリがコートの留め具を手いじりしながらツバサに尋ねた。
「いや、えっと、ツバちゃんは来週のクリスマスイブ、なにか予定あるのかなーって」
「ん? 冬休みは基本暇だよ」
「えっとね、うちのお母さんが職場の友達とイルミネーションを見に行くんだって! 泊まりで。だから、さ……、一緒にどうかなって……」
言い淀むヒヨリに代わって、ツバサが話を進める。
「いや、さすがにその旅行にはついてけないよ。おばさんの職場の人とは面識ないし」
私は思わずツバサの背中に手刀をかましてしまった。
「そういうことじゃないでしょ」
「へ?」
ヒヨリが手をもじもじとさせながら苦笑いする。
「そう。私家で一人になるから、もしよかったらお泊まり会どうかなって……。今日のお鍋のお礼に、ケーキ作るからさ……」
うつむいているヒヨリには分からなかっただろうが、私にはツバサの耳が一瞬で真っ赤に染まるのがはっきりと見えた。
「え! い、いいの……?」
「もし、ツバちゃんが嫌じゃなかったら……」
「嫌じゃないよ! 全然! 余裕! 超余裕!」
その答えにヒヨリが笑顔を浮かべるが、今度はツバサが赤面を見られまいとうつむいたので二人の視線はかみ合わなかった。
「じゃあ、詳しいことはまた」
二人は赤べこのようにこくこくとうなずきあった。
「あ、冷凍できるケーキ作るから、ルカちゃんも九重に戻ってきた時、もしよかったら食べてね! じゃあ、また明日!」
ヒヨリが一度門柱に肩をぶつけてから、家の中へと入っていった。
動作感知式のライトが玄関で灯る。光の中に私は花弁を見つけた。
アマザクラだ。いつの間にか、空からはらはらと桃色の花弁が降ってきていた。喜びや感動などのポジティブな感情に包まれた時に降る色だ。
私は思わず「え……?」と声を漏らす。
ツバサを確認すると、彼女は真っ赤になった顔を必死に両手で覆っていた。そんな彼女の周りをひらひらとアマザクラが舞う。
「うるさい! こっち見るな! アマザクラにも気付くな!」
「気付くなは無理よ」
「いや、だって! だってさぁー!」
ツバサがその場にへたり込む。
「小さい頃、毎年クリスマスは一緒にケーキ作ってたんだよ。でも、疎遠になってからは一度もなかったから……」
なんてことない誘いをしているはずのヒヨリがぎこちなかったのは、きっと断られることを危惧していたのだろう。二人にとっては、意味のある特別な行事だったのだ。
「だから、あんなこと言ってもらえるなんて思わなくて……」
一枚の花弁がツバサの頭の上に落ちる。花弁は柔らかく優しい色合いをしていて、冬の空気がわずかに暖かくなったようにも感じた。
「あなたたちを見てると、自分が不完全な人間なんだと思い知らされるわ」
もし仮に私の心がアマザクラと繋がったとしても、その空は綺麗なものにはならないだろう。人に愛されるものにはならないだろう。
「あなたはヒヨリさんを大切に想っていて、ヒヨリさんはあなたを大切に想っている。相手の言葉で一喜一憂しながら互いを思いやって、心を開いている。すごいって思う。素直に」
自分には人と絆を築くために必要なものが欠けているのだ。二人といると、そのことを思い知らされる。

私が守りたかった偽りの世界。君が教えてくれた真実の世界。

サクラの降る町 ―白ノ帳―

私が守りたかった偽りの世界。君が教えてくれた真実の世界。
  • 著者 | 小川晴央
  • Illustration | フライ
  • 発売日 | 2021年12月10日(金)
  • 価格 | 713円(税込)
  • ISBN | 978-4-910052-24-3