試し読み

 マレが生まれるずっとずっと昔。神話とも現実とも判別がつかないほどの時代に、神々を二分する争いが起こった。その際、地球を巨大な隕石が襲った。地球上の大半の生命を死滅させたその隕石がもたらした被害は甚大で、地球のあらゆる環境が一変してしまった。そのとき、隕石の大半は粉々に砕けて散らばったが、ひときわ大きな欠片かけらが海の底へ底へと沈んでいった。
 ニライカナイの街はその隕石の欠片を土台に作られており、特に宮殿は何千年もの時を経てその時代時代の職人たちがこつこつと岩を削り取り整えていったものであるとされる。
 そんな原初ともいえる遺物の宮殿に、マレは大急ぎで戻ってきた。

「お父さん!」

 マレは不躾ぶしつけに玉座の間に入り、大声で叫んだ。
 居眠りでもしていたのであろう、ティダ王がその音にぎょっとして目を覚ます。

「な、なんだマレ……脅かさないでくれ。そんなに血相を変えてどうした?」
「聞いたわ。全部」
「全部とは?」
「お父さんは簒奪者。神槍も、元々は弓だったって」

 マレがそう告げると、寝ぼけ眼だったティダ王の表情が一変した。彼は信じられないものを見るかのように、恐る恐る瞳をマレに向ける。

「お前……どこでそれを……まさか、陸に近づいたな!」

 いつものなまけた様子ではない、怒気に満ちた様子に一瞬気圧されるが、興奮状態だったマレはそれを打ち消すように叫び返す。

「そんな話はいいの! 本当のことを教えて! お父さんは女王を裏切ったの? 私たちは王家じゃなかったの?」
「馬鹿者……なんて愚かな真似を……! マレ、さすがの私も堪忍かんにん袋の緒が切れた。自由にさせすぎたのは間違いだったな」

 見たことのない父の冷めた表情に、怖気おぞけが走る。

「違う! そうじゃない! お父さん、話から逃げないで!」
「近衛兵長。マレを部屋に。絶対に外に出すな。私が良いと言うまでだ。いいな?」
「お父さんっ!」

 会話になっていない。マレはそのいきどおりに呼吸ができなくなるほどだったが、それ以上の会話は許されなかった。近衛兵の二人がマレを取り囲み、両腕を掴んで玉座の間から引きずり出す。
 マレは何度も叫んだ。父に、目の前の問題と向き合ってもらうために。
 だがしかし、その声は届くことはなかった。

「失望したぞマレ。お前にはまだ王の座は務まらん」

 マレの部屋は決まって騒がしかった。
 それはマレがあちこちの海からいろいろなものを持って帰ってくるから。丸い球型にこしらえた部屋の中には、色とりどりのオブジェが置かれている。それは珍妙な形をした大きな貝であったり、綺麗なサンゴであったり、時に人間が捨てたゴミの一つであったりもする。
 そして何よりにぎやかなのは、マレが歌って踊り回るからだ。
 そんないつもはにぎやかなはずの部屋の中で、マレはしゃがみ込み顔を両腕の中にうずめていた。静まり返った様子のマレに、ウラシマがすいすいと泳ぎ寄り声を掛ける。

「落ち込んでるの? マレ様が? お父さんに怒られたくらいで?」
「るさい」
「泣くの? マレ様も人間みたいに? 泣いちゃう感じ?」
「ええい! うるさいわね!」

 ウラシマのあおりともいえる投げかけに、マレは大きく叫んで立ち上がった。

「あなた落ち込んでいる相手に気遣いなさすぎ! それと泣いてない! 考え事をしていたの! 私がそんな女々しいことすると思う?」
「そうでなくっちゃ。何を考えていたの?」

 興味津々にマレの周りをすいすいと泳ぐウラシマを、マレはがしっと鷲掴んだ。そして気味の悪い満面の笑みを浮かべる。

「ウラシマ。手伝って」

 宮殿の中から抜け出す方法を、マレは熟知している。
 うるさい近衛兵たちに気付かれないように外へ出て、そして気付かれないように戻ってくる。もはやマレにとってそれは達人の域で造作もないことだった。
 部屋に置いてある壺をどけると穴がある。そこから部屋の外へと出ると、マレは上も下もない海の中を、あちこちへ身を隠しながら廊下を進んだ。

「外はこっちじゃないよ? 宮殿の外に逃げるんじゃないの?」
「いいから。周り見張ってて」

 マレが向かったのは宮殿の中でも奥の奥、宝物庫だった。うたた寝する見張りを横目に、マレはこっそりと扉を開けて中に入る。
 中はしばらく誰も出入りしていないことが明らかだった。壁に掛けられた明かりのチョウチンアンコウを鷲掴み、中を進む。しかし明かりでバレないように光量を抑えて。

「見張りは寝ているし、鍵はかかっていないし……宮殿の警備はどうなってるのかしら」

 愚痴ぐちりながらお目当ての物を探っていると、何か固い感触がありそれを手に取る。

「これって……私が小さい頃作った、玩具の神槍じゃない。こっちも、これも全部玩具」

 自分でも忘れていたような懐かしい品の数々。

「宝物庫なのにただの倉庫になってる。ああもうっ、先代の王の宝剣も床に落ちてる」

 あまりにも杜撰ずさんな管理だ。国の宝を何だと思っているのか。マレの中の怒りが一層増した。その宝剣が横たわる床に、ついでといった程度に置かれたお目当てのものを見つける。

「あった、あったわ」

 それは神槍だった。元は弓であったというその曲がった神槍が、特に飾られるわけでもなくその場に放り置かれてある。ともすればゴミだと捨てられてしまいそうだ。

伊達だてでも神様から貰ったものを、こんなところに置くかしら普通」

 とはいえ、今回はその杜撰さに救われたとマレは神槍を拾い上げて外へと持ち出した。

「そんなもの持ち出してどうするの?」

 王国を出てしばらく。黙々と泳いで進むマレに、ウラシマが尋ねた。

「決まっているじゃない。魔法で脚を付けるの。そして陸に上がって人間に奪われた対の神矢を取り返すのよ」
「人間になるの? そんなことができるの?」
「あの壁画の女王だって、脚を付けて陸に上がって人間を支配しようとしていたわ」
「でもそれって、成人祭を執り行った大人にしか扱えないんだよ?」
「成人祭なんて所詮形式的なものよ。大事なのは中身。私はもう十分大人なの」

 一度こうと決めたお姫様を納得させるのは大地を動かすよりも困難なことであった。

「ここでいいわ」

 マレが立ち止まったのは、以前人間の男を観察した浜辺の近くだった。万が一人間に見られてはまずいと、海岸沿いに北側へと移動する。
 マレはい上がりやすそうな手頃な岩場を見つけて上がり、魔法の神槍を手にそれを自身の白銀の尾に向ける。マレが強く願うと、神槍の先端からつたない白い光線がまろび出る。白い光がマレの下半身を包み込み、マレは驚きの声をあげる。するとズルズルと奇妙な感覚がして、光が消えるとそこには人間の双脚が備わっていた。

「わあ! 脚だ! 人間の脚だ!」
「ほら見なさい! すごいでしょう?」

 マレは生まれたての脚を上下に動かして見せる。

「じゃあウラシマ、どうせなくなったことも気付かないだろうから、しばらく神槍をそこら辺に隠しておいて」

 マレが神槍をウラシマに返すと、ウラシマは両手でずっしりとそれを受け取り、

「本当に行くの? 掟を破ると泡になっちゃうんだよ?」
「何よ。ウラシマそれ実際に見たことあるの? 私は自分の目で見たものしか信じない」
「……でも、もしマレ様が泡になっちゃったら寂しいよ」

 珍しく食い下がるウラシマに、マレはその小さな頭を指先でつついた。

「安心しなさい。すぐに戻ってくる。それに、このまま放っておいたって海は死んでしまう。例えお父さんや国を敵に回すことになったとしても、私は海を救いたい。かつての女王のように、海に栄華を取り戻したいの」

 決意を込めた瞳で、マレは付けたばかりの双脚で立ち上がった。

人間を憎み、感情のままに海のおきてを破って陸へと上がったマレ。

そこは人口わずか200人程度の離島・三高島みたかじまだった。

数十年後には消滅すると言われているこの小さく素朴な島で、

猪突猛進なお姫様が、島民を巻き込んで大騒動を巻き起こす――!

海姫マレ

  • 著者 | 西川 昌志
  • Illustration | 高瀬 亜貴子
  • 発売日 | 2022年3月18日(金)
  • 価格 | 734円(税込)
  • ISBNコード | 978-4-910052-27-4
  • 発行元 | 京都アニメーション
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