試し読み

「次」

 ――と、にべもなくマレは白銀の尾ヒレを左に振った。すると、前に沈んだ顔でつっ立っていた同じ人魚族の男が、近衛兵の一人に連れられて部屋を出ていった。
 それは王女マレの婚約者を決めるお披露目ひろめ会だ。各地域、各種族を代表した男が集まり、マレの伴侶はんりょとなるべくアピールし合う。
 出ていった扉から、今度は上半身は人だが、赤く鋭い数本の脚を生やした男が、両指をもじもじと胸の前でいじくりながら入ってくる。男は落ち着かない様子でその場でおどおどと身体を揺らしながら早口にしゃべり出した。

「わわ、私の家は確かに小さいですが、そして私もたいしたカニじゃなく、正直マレ様とは不釣り合いなカニですが……その、脚も十本ありますし……いや、実は九本……」
「不釣り合いなら来ないで。次」

 間髪入れずにヒレを左へと振るう。
 次に入ってきたのは、マレと同じ人魚で青白い尾を持った中性的な顔立ちの男だった。

「どうも初めまして! ニライカナイのお姫様に会えるなんて光栄っす! 早速なんすけど、自分をぜひ結婚相手の候補にしてほしいっす!」
「単刀直入に言ってくれるのは気持ちがいいけど、ウインクやめてくれない? 気持ち悪いわ」
「あ、これウインクじゃなくて寝てるんっす。自分、寝るとおぼれちゃうんで、右と左交互に半分ずつ寝てるんっす。面白いっしょ?」

 と、閉じていた右目が開き、開いていた左目が閉じる。

「あ、おはようございます。あれ、僕どこまで話しました?」
「なんか怖い! 次!」

 次に入ってきたのは全身黄色と茶色の縞模様の美しい人魚だった。

「どうも。父から欲しいものを与えてやるから行ってこいと言われて来ました。とりま約束は果たしたんで帰っていいっすか?」
「出てけ!」

 すべての候補者が出ていった部屋で、マレは大きくため息をついた。そんなマレに、傍にいた赤いドレスのようなヒレを付けた半人半魚の侍女がマレに寄って話しかけた。

「どうでした? マレ様。お気に召された殿方とのがたはいらっしゃいましたか?」

 過剰なまでに反り上がったまつ毛を、ぱちぱちと必要以上にまばたきさせる侍女。

「いたように見える? 私のこの顔見てよ、まだタコの踊り食いを見ているほうが楽しそうな顔をしているわ」
「まぁ、なんて下品な例えを」
「海にまともな男はいないのかしら? ほとんど人の目を見て話さなかったし、小さい声で何言っているかもわからないわ。そりゃ海も人間におかされるわよね」
「昨今の男性はそういったのがトレンドなのですよ? 温和で優しいんです」
「自分中心で弱々しいの間違いでしょ?」
「ああ言えばこう言う……」

 マレは不機嫌そうに尾ヒレを左右に振り続ける。

「これマレ様。はしたない。何度も申し上げています」
「ごめんなさい。でもこうしてないと落ち着かなくて」
「思い通りにいかないといつもそうなんですから。ティダ王がマレ様のためを思って、縁談を進めてくださっているんです。いずれはパートナーとして広大な海を支配していくんですから、真剣にお選びくださいな」
「別に結婚なんてする必要ないじゃない。私一人で十分やっていけるわ」
「子どもはどうするのです。それこそ、マレ様の代で王国は終わりますよ?」
「そうだけど……」

 そんな先の話をされても腑に落ちない、とマレは口をへの字にゆがめた。

「もしそうなったら義妹様方に継承権を移さざるを得なくなるかもしれないんですよ? お家にとっても、マレ様にとってもそれは不本意でしょう」
「でも私はまだ結婚なんてしたくない。そんなことより、まずは目の前の問題を解決すべきよ」
「問題ってなんですか」
「知らないの? また近くで大量のゴミが放棄されて、ジュゴンの群れが全滅したそうよ?」
「聞いてますよ。最近街でも噂が広がってます」
「海は以前よりどんどんにごっているし、妙な病気が蔓延まんえんしているって噂も。こうしている間にも、人間が海を汚し続けているの。汚染だけじゃない。北方では、人間がサメを無差別に捕まえた挙句、ヒレだけを切り落として体は海に捨てるなんて非道な話も聞いたわ。許せない!」
「じゃあどうしろって言うんです? ティダ王に軍隊を出させて、人間と殺し合えと? 魔法で脚でも生やして陸に上がれとでも?」
「あら、そんなことできるの?」
「あの神槍でしたら可能でしょうけど……できませんよ。私たちが陸に上がったところで無力です。それこそ人間どものえさにされておしまいですよ」
「でも何かしないと。何も変わらないわ」
「ですから」

 と、侍女は絵と文字の書かれた山のような量の石板を、マレの前にドンと差し出した。

「良き人と結婚して、子孫繁栄するのです。長い歴史を生き抜けば、いずれ状況が変わるときが来ます」
「もう。わからずや」

「人間なんて大嫌い」

 ニライカナイの街から遠く離れた海を、マレは泳いでいた。すぐ傍をウミガメの子どもが悠々と泳いでいる。マレは時折こうして街を出て数日帰らない。あまりに自由気ままであるが、海を支配する王の娘であることを誰もが知っているので、彼女を襲おうなんて命知らずはいない。

「どうして海を汚すの? どうして私たちを捕まえて食べるの? 私たちは何もしてないのに。それを指をくわえて見ているだけのお父さんたちも同罪だわ。大人たちはみんな同じ。どうしようもないから、そういうものだからって諦める。静観することが大人みたいに振る舞っているけど、面倒事が嫌いなだけじゃない。何が海底王国ニライカナイよ。数千年の歴史よ。あんな王様ならいないほうがマシ。デブでハゲかけてるし。王様なんて名ばかりで、ただの食っちゃ寝の親父よ? この間なんか珍しく神槍を手にしてると思ったら、それで背中かいてたのよ? ありえない! ねぇ、ウラシマ?」

 息継ぎもせずまくし立てたマレが、ようやく傍を泳ぐ小さなウミガメを見た。ウラシマと呼ばれたその子ウミガメは、目の前を逃げ回る小エビを必死に追いかけ、それをパクリと食べた後、ようやくマレを見返した。

「わかるよ。背中がかゆいとなんとしてもかきたくなっちゃうよね」
「そういう話をしてるんじゃなくて……まぁいいわ。ウラシマはまだ子どもだし」
「そう。僕は一番下の弟だから子どもなんだ。マレ様と一緒だね」
「私は違う。成人祭は終えてないけど、十分大人」
「そうは見えないけど?」
「あなた、小さいのにいつも辛辣しんらつね」
「小ささは関係ないよね?」

 マレ以上にああ言えばこう言うウラシマに、マレは疲れて言い返すのをやめた。

「それにしても体は大丈夫? ニョロニョロにいじめられて運ばれていたけど」
「大丈夫だよ。いじめに耐えてもみんな見て見ぬフリするけど、あえて苦しいフリをしたらみんなが慌てて助けてくれることに気付いたんだ。だからあれは演技なんだ」
「なにそれ計画的だったの? 助けた私が馬鹿みたいじゃない」
「でもいじめられてたのは本当だよ? マレ様はだから助けてくれたんだよね?」
「そうだけど……んん、確かにそうね」
「まぁ背中が痒いのは本当だけどね」

 ぐるんぐるんとウラシマは体をひねりながら、届かない手を背中に伸ばそうとしている。マレは、ウラシマのその動きに合わせて自分もぐるぐると身体をひねりながら泳いだ。
 何にも縛られず、自由に海を泳ぐのは好きだ。マレからは自然と鼻歌が漏れ始め、その歌にウラシマが喜々として体を揺らす。マレもつられて一緒に踊り出した。
 しかし、ふと周囲の異変に気付いて泳ぎを止める。
 海の匂いが明らかに変わった。透き通った青は黒く濁り、海中には白い浮遊物が無数に浮かび上がっている。匂いの中心は、マレの向かう先からやってきている。
 そこは深く広い穴を中心に、海面まで突き出した高い壁に囲まれた色彩豊かな土地で、様々な海の生き物たちが集まってこっそりと暮らす隠れ家のような場所だった。いつもは訪れたマレを見つけては数匹のイルカたちが寄り集まり付き添ってくれる。イルカたちはいつも明るく踊るのが大好きで、暗くなったマレの気持ちを明るく切り替えてくれた。
 しかし今日は誰も迎えに来ない。異変を感じ取ったマレは速度を上げた。

「そんな、誰もいない」

 以前訪れたときと打って変わって、そこは何一つとして生命の息遣いのしない閑散とした土地に変わり果てていた。これまでは遊び場として盛っていた、ごっそりと開いた底の見えない穴が、マレの恐怖心をあおる。マレはあまりの不快な匂いと味に、口元を押さえた。
 迫りくる不安感にさいなまれながら、なんとか見える視界の中を手探りで探していく。手が何かに当たったと思ったら、それは人間がよく捨てる半透明のゴミだった。
 傍の岩陰にきらりと光るものがあり近寄ると、それは瀕死の状態で横たわるイルカだった。マレが慌てて抱き上げると、イルカはただでさえ青白い顔をより青白くさせ小さく震えていた。

「大丈夫!? 何があったの!?」
「マレ様……すみません。先日突然、大量のゴミがやってきて……あっという間にここは汚染されてしまいました。逃げる間もなくみんなが苦しみだして……穴の中に……」
「嘘……みんな死んじゃったの?」
「マレ様も、早く、逃げて……」

 腕の中でわずかにまたたいていた命のともしびが、あえなく消えた。マレは悲しみのあまり慟哭どうこくし、その声だけが反響する。
 悲しみに浸っていたマレは、しかし悪臭に耐え切れずその場を離れた。視界が開けてくると、ウラシマが不安そうな表情で待ち受けていた。

「マレ様、何かあったの?」
「人間が……また海を汚してみんなを殺した……もう許せないっ!」

 ハの字に垂れ下がっていた眉を一変、逆ハの字に変えて、マレは一目散に泳ぎ出した。向かうは陸。憎き人間がむところ。

「マレ様マズイよマズイ。おきてで人魚は陸に近づいたら駄目なんだよ? 掟を破ったら泡になって消えちゃうんだよ?」

 後ろから必死に付いてくるウラシマがそう注意するも、マレはたぐいまれなる泳力であっという間にウラシマから離れていき、すぐにその声も聞こえなくなった。
 奥深い底まで広がっていた海底が、徐々にせり上がってきて陸が近いことをしらせる。すぐに海面と陸とが交差するところを視界に捉えた。
 水が生ぬるい。ここまで陸に近づいたのは初めてだった。父のティダ王からは決して陸に近づいてはいけないと言われている。海面に近づくことすら恐る恐るなのに、陸や人間に近づくなんてものはもっての外だ。マレの人生の中でも恐ろしいトラウマとして残っているのは、わずかに見える海面に、巨大な黒い影が図太い音をかき鳴らし、太い紐で編んだ網と呼ばれるものを垂らしながら進んでいくのを見たことだ。たくさんの仲間たちがその網にさらわれていき、帰ることはなかった。それを目の当たりにしたときは、あまりの恐怖に数日間家から出られなかった。人間は悪魔なのだと実感し何度も夢に出てきた。
 ニライカナイにある、決して陸に近づいてはいけないという掟は、そんな人間の暴力から民を守るための脅し文句なのだろう。人間と仲良くなり固い掟を破って陸に上がった人魚が泡となって消えてしまうという昔話に小さな頃はおびえたものだった。
 そんなことを思い出していると、海面近い水色の中に、見慣れぬ黒い影を見つけた。一瞬驚きに心臓が跳ねるが、それはとても小さくマレとそう変わらない大きさの生き物だとわかる。
 しかし決定的に違うのは、その生き物にはマレと違って二本の脚が生えていることだった。
 両の脚の先に青いヒレが付いており、それをゆらゆらと上下に揺らしながら海の中を進んでいる。顔は何か黒いものでおおわれていてよく見えないが、マレはそれが何であるか瞬時に悟った。

「人間だわ」

 恐怖よりも、怒りが勝った。
 マレは戸惑いそうになる自分を無視して、その人間に近づいていく。マレが近づいていくと、それに気付いたのか人間は方向を変えて海面へと上昇していく。
 海底から海面まで、真っすぐに立てば頭が出てしまいそうなほどに陸へと近づいていき、人間はそのまま陸へと上がっていってしまった。それを見遣りつつ、少しだけ場所をずらしてマレは恐る恐る海面へと顔を出した。
 まず感じたのはまぶしさだった。そしてすぐに今まで体験したことのない焼けるような暑さを感じ取る。その犯人は、空と呼ばれる海よりも真っ青なところから、マレを見下ろしていた。あまりのまぶしさにマレは目が開けなかったが、次第に慣れてきたのか目の痛みが薄れてきて、徐々に視界が開けてくる。

海姫マレ

  • 著者 | 西川 昌志
  • Illustration | 高瀬 亜貴子
  • 発売日 | 2022年3月18日(金)
  • 価格 | 734円(税込)
  • ISBNコード | 978-4-910052-27-4
  • 発行元 | 京都アニメーション
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